2006-09-24

スパイいろいろ/カート・ヴォネガット『母なる夜』と、とあるニュースに関連して

Good evening. ようやく秋到来かな。

さて、今晩気になったニュースはこれ。

◎敵国の友人救ったジャーナリストスパイ死す - ベトナム/AFP通信
http://www.afpbb.com/article/920217

件の人物はPham Xuan An氏。ムリヤリ仮名読みすると「ファン・クァン・アン」氏、ってところかな。昼間は『タイムTime』誌のサイゴン特派員、夜は北ベトナムのスパイとして活動していたという人。こう聞くと、二重スパイか?……などと思ったりもするのだけれど、タイムの特派員だったのはちゃんと特派員だったわけで、するとアメリカ向けの情報は業務として正々堂々と送ればいいわけだから、二重スパイというわけではないのかな、などと思ったりもする。しかし、米傀儡ゴ・ディン・ディエムNgo Dinh Diem首相の諜報機関にいたことを考え合わせると、やっぱり一時的にせよ二重スパイ状態だったことはあったのかな、とも思えるわけで、ちょっとややこしい記述だなというのがこの記事を読んだ感想。

二重スパイというと、僕が思い出すのはカート・ヴォネガット『母なる夜』のハワード・B・キャンベル・ジュニア。(以下、あらすじを記述。ネタバレを嫌う人は本パラグラフを読み飛ばされたし。)彼が活躍したのは第二次大戦中のドイツで、表向きはドイツ向けのナチスよいしょ放送の原稿を書いていた煽動ファシストだが、同時に暗号で米側に独軍側の情報を流すこともしていた、バリバリの二重スパイだ。活動としてやっていることのヤバさがそれぞれ半端でなく、ハワードは分裂した人格を構成することなしにはこの境遇に堪えられなかった。戦後彼はニューヨークに滞在するが、かつての恋人の妹が現れたあたりになってから次第にアイデンティティの基盤をひとつひとつ奪われていき、ついには破滅してしまう。

母なる夜
母なる夜カート・ヴォネガット

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それに較べるとAn氏の場合、すくなくとも記事から伺える限りでは、そういった種類の悲惨さを感じさせない。


『私は一度も、誰にも嘘をついたことがない。タイム誌にもホーチミンにも同一の政治情勢分析を提出していたからね』(記事より)


もちろんAn氏はベトナム戦争期のスパイだったわけで、それなりに人死にに関わることもやってきたはずだが、仕事の内容自体はジャーナリズム活動という範疇で把握しきれる、ごく地味なものだったのだろう。その仕事が利する陣営はその都度分裂していても、やっていること自体は客観的な政治情勢分析だから、割り切ることもできたのか。たしかに、政治情勢分析という「商品づくり」を我が役割と割り切ったうえで、たまたま客が敵味方と両方にいただけ、という風に考えられたなら、悲惨な戦場でもなんとか自我を支えきれるのかもしれない。といっても、所詮は「搾取する側」の国民の、勝手きわまる想像に過ぎないけれど。

ともあれ、ベトナム終戦後はかえって不自由を強いられてきたAn氏は79歳で天寿を全うし、2006年9月20日に逝去した。

じゃあ、今宵はこれだけ。Good night.

2006-09-21

Seagram's Exta Dry Gin

きのう言った強い酒の正体。

これまではビールの話題ばかりだったけど、実は僕、そんなにビールばかり飲んでいるわけではない。というより、ほとんど夏季限定と言った方がいいかもしれない。夏以外は、ごくたまに気まぐれで飲むくらいのものだ。なにしろ、昔はビールが苦手な方だった。味は好きだったが、なかなか大人しく胃を通過してくれないビールは僕にとって飲みたくても飲みきれないものだった。自然なペース配分を覚えるまで、僕とビールはすれ違いの日々を送っていたってわけだ。ところが、奇妙なもので、ビールが苦手だったにも関わらず、それよりはるかにアルコール濃度の高いスピリッツ類はまるで平気だった。なかなかご縁のないアクアヴィット以外はみなそれなりに飲んでいる。わけてもよく飲むのが、ジンというわけだ。

ジンは穀物を原料とした蒸留酒で、ウォッカの親戚のようなものだが、その最大の特徴はジュニパーベリーJuniper berryによって香り付けされていることだ。だから、ジンを飲むとハーブの爽快感が舌と鼻に強烈な刺激を残してゆく。けれども、テキーラなんかに較べると自己主張は強い方ではないので、カクテルに好んで使われる。

ところで、ジンに香り付けしているのはジュニパーベリーばかりというわけではない。大概の銘柄は他数種類のボタニカルとブレンドして漬け込み、銘柄独特の香味を出すのだ。なかには「漬け込む」という方式を採らない銘柄(ボンベイ・サファイア)もあるが、それについてはまたの機会に譲ろう。とにかく、ジンの愉しみ方は、このボタニカルのブレンド具合を味わい分けることにもあったりして、奥が深い。珈琲や紅茶みたいな愉しみ方ができるってわけだ。なんというエンターテイメント性。

僕が飲み比べた感じでは、その方向性には二種類の傾向があるように思える。ひとつは、ゴードンのような、クールな感じのするもの。いまひとつは、ビーフィーターのような、柑橘系の柔らかな香気を持ったもの。写真のシーグラムは、明らかに後者だ。

さて、ゴードンやビーフィーターが本場イギリスのドライ・ジンであるのに対し、シーグラムはアメリカ代表。あちらではトップ・ブランドに位置づけられるほど普及している代物で、日本にも輸入されている。ストレート・ロックでもカクテルベースでもいけるユーティリティープレイヤーだ。こいつをうんと冷やしてロックで飲むのは、暑気の抜けきらない涼しさを感じるこの季節にはもってこいの愉しみ方だ。もちろん、ジントニックやジンパック、ギムレットなんかもいい。一般家庭でも手軽に作れる飽きの来ないカクテルだ。外で飲むなんて野暮なことはやめて、家でじっくり飲むのはいかがだろうか。

シーグラムズ・エクストラ・ドライ・ジンは、日本ではキリンが輸入販売している。でも、ライセンス生産しているわけではないので、ちょっと手に入りにくいかも。

◎Seagram Gin/KIRIN
http://www.kirin.co.jp/brands/sw/seagramgin/index.html

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2006-09-20

norns的小泉政権概評

Good evening. 久々の星空だね。

日付が変わって、今日は9月20日。日本人にとっては、政権与党の自民党が総裁選挙を行い、今夜にも新総裁が誕生する日、……と、そういう日でもあるね。現況からして新総裁はそのまま26日には新総理ということになる公算が大きいから、国民の関心は自然とそちらに集まる。そして、一週間後には、安倍晋三内閣が生まれるってわけだ。もちろん総裁選次第でまだどうなるかわからないけど、かなり高度の蓋然性があるといえる状況だね。

そうなると、いまのうちに現首相・小泉純一郎氏についてふりかえっておくのがいいんだろうね。もちろん、彼に関する評価はこの先長い時間をかけて定まっていくもので、それは時の女神nornsの扱う範疇のものだけれど、僕たち凡夫がちゃんと考えを定めておくというのもまるで無意味というわけではない。凡夫には凡夫なりの必要というものがあるからね。だから今日は、小泉総理と彼の政権の行ってきたことについて話すとしようか。

ところで、面倒なので、以下基本的に敬称は省略するよ。

といっても、政治ジャーナリズムとか政策論的な総括といった類のことは、すでに他所が飽きるほどやっている。おととい、NTV系で小泉政権のドキュメンタリーをやっていたけど、それもその一つだね。僕も観たよ。情報として目新しいものがあったわけではないけれど、それなりに面白かった。それにしても、田中真紀子のことを、あんな連ドラによく出てくるヤラレキャラの敵役キャリアウーマンみたいな描き方をしてしまっていーんだろうか。間違いなく「空気感」は出ていたけど。

閑話休題。ニュースの総括や政策論的評価などといったことは専門家がとっくにやっていることだし、そういうのを求めてこんな辺鄙なところに来る人もいないだろうから、あまりこだわらずにざっくりふりかえってみよう。

いしいひさいちが昔、それも小泉が厚相をしていた時分だから相当昔なんだけど、その時分に小泉厚相のことを「小泉口先厚生大臣」という風に呼んで揶揄していたことがあった。どうしてそんな昔の漫画表現を持ち出すのかって?小泉首相という人のことを考えるとき、僕はこの「口先〜大臣」という形容の仕方をいつも思い出していた。というのも、総理になって以降の彼の行動パターンも実に的確に捉えていると思ったからだ。

一部からすでに指摘がある通り、小泉純一郎という人は日本において近年まれに見る「政治的パーソナリティー」を備えた人だね。自分が政治家としてやろうと思ったことは、権謀術数を駆使してでもなにがなんでも成し遂げようとする。そういう執念みたいなものを、日常茶飯の振る舞いの中に身につけてしまっている人。こういう人は、民主政体下でなくても政治家をやっていただろうね。もっといえば、職業としての政治が成立していない社会であっても、何らかのかたちで政治的振る舞いをしていた人なんだろうと、そのくらいのことを考えさせるところがある。その意味でいうと小泉は、森喜朗等とは余程ちがった政治家にみえる。その功罪はともかく、本当に政治家に向いている人といえるわけだ。

実際、彼は郵政民営化関連六法案が参議院で否決されたことをきっかけに、衆議院を解散している。当時僕は参議院もここまで軽んじられる時代になったかと思ったけど、こういった様態の解散は憲政の常識からして非常識であるのみならず、議会制民主主義の論理に照らしても意味不明な選択なんだ。参議院を解散するわけじゃないんだからね。

しかし、小泉純一郎は純粋に政治的にものごとを考えた。解散・総選挙を経て世論の支持が得られれば、郵政民営化関連六法案を通すことができると、その見通しだけで、近代的議会制民主主義の論理を無視した。いや、無視できてしまったんだ。彼にとって、郵政民営化という政治目的のためには、そんなこと(!)どうでもいいことだった。それほど政治目的に殉じることができるという意味では、彼ほど政治家向きな政治家はいない。

ただし、それは彼の行動原理を外側からみた場合に限っての話。問題はその中身、つまり彼が何を成し遂げようとしていたかに関わるところにある。つまり、政治目的の持ち方だ。小泉は政治目的をどのようなものとして考え、また扱っているか。そのことを考えるとき、先の「口先〜大臣」という見方が生きてくる。

小泉純一郎は、たしかに目的達成のための強い執念を備えた「政治向きの人格」をもつ人だが、肝心の目的観念が弱い。いいかえると、小泉は目的達成にはものすごくこだわる人なんだけど、目的そのものは具体的な内実が欠けた「ただの記号」に過ぎない。目的が「軽い」んだ。

どうせここは辺境なんだから、はっきり言ってしまおう。要するに、小泉にとっての政治目的とは、たんに体裁に過ぎないんだ。「やる」と言ったことを「やった」とあとで言えるだけの形式的な条件さえ整えば、あとはどうでもいいんだ。なぜなら、そういう体裁さえ整えておけば、あとでやいのやいの言われても「俺はやったんだ」と強弁してその場をやり過ごせるからね。

いい例が靖国問題。彼は総裁になるとき、「自分が総裁になったら終戦記念日に靖国神社に参拝する」ことを公約した。これに関しては、いろいろな人がその政治的含意を忖度し、侃々諤々のイデオロギー論争をしてきたけれど、まあこの際それはいいよね。みんなよく知っているでしょう。とはいえ、話を進めるために一例を挙げて、「靖国参拝により中韓の反発を招いて極東の軍事的緊張を誘発し、その不安をベースとして憲法改正の気運を高めること/世論作りをすること」だとしておこう。だとすれば、ためらわずさっさと行けばよかったわけですよ。そのくらいの強引さは持ち合わせた人なんだから。でも、行かなかった。というより、終戦記念日以外とか「中途半端な参拝」が続いた。まあ、現実は厳しいからね。

そして、そのまま小泉の総裁任期が終わっていたなら、イデオロギーはともかく、政治的にはたんに彼の実行力の問題で済む。ところが、ここが最も彼らしいところなんだけど、小泉は任期終了の約一ヶ月前というギリギリになってから、駆け込むように「終戦記念日の参拝」をしたわけだ。もちろん、「もうすぐやめる首相」と化した人間の参拝なんて、パフォーマンスとしての意味はほとんどない。あるとすれば、あとで責められたとき言い逃れができるって事だけ。彼にとって、「終戦記念日の参拝」という公約/政治目的はその程度のものでしかなかった。

僕が例の「口先〜大臣」という形容を思い出したのはそんなタイミングでのことだったんだけど、そこから思い起こしてみると、これまで小泉が首相として行ってきた政策等は万事この調子なんだ。

たとえば、小泉の政治的立場はネオリベで、彼の構造改革路線はそれに基づいたものだとよく言われているよね。曰く、小泉と竹中の市場原理主義的な構造改革路線はホリエモンに象徴されるような拝金主義を招来し、格差社会をつくった、等々。

じゃあ、本当に彼らが市場原理重視で政府のスリム化を行ってきたかというと、そんなことはないわけで、かえって赤字を200兆円以上増やしている。その痛みはモロに国民に被さっている。……とまあ、ここまではよく言われるところだけど、実際はそれに先んじて企業の方に痛みは掛かっている。銀行の貸し付け実績が大幅に増えるでもなければもちろん消費不況下売り上げ増加もなく、それでいて保険料負担などは増えているので、企業は帳簿を見てカリカリするばかりになってしまった。そうして安易に人件費削減に走った企業はかえって体力を減耗、ますます状況は悪くなった。その結果企業の業績は回復しないわ、消費は冷え込んだまんまだわ、若年失業者やフリーターは念願の正規雇用に与ることも叶わないままタコ殴り状態だわで、行き着くところは治安悪化に社会不安ときている。それなのに数値上なぜか景気は回復、と。

つまり、小泉政権は一応ネオリベ的な政策を看板にしているけれども、実質、規制緩和により企業の経済活動が活発になるとか、労働市場が流動化して一度失業した者もすぐ再雇用に与れるようになるとかいう、市場主義のもたらす基本的な恩恵とはまったく逆のことばかり引き起こしてしまった。でも、ホリエモンみたいな考えの浅い人間が出てきたり、経営者が社会責任を忘れて会計帳簿ばかり気にするようになったとかいう意味では、ネオリベ的な政策を行ってきたように見える。だから、小泉の立場をネオリベと言ってもだれも疑問を差し挟まない。僕は大いに疑問だけど、それはまた別の話。加えて、なにより数値上なぜか景気は回復基調に見える。誰もそんなこと本気で信じていないけれど、関係ないわけだ。

まあ、こんなに話しておいて何だけど、この点にはあまり深入りしないでおきたい。力を入れたところで、所詮在野のペダンチストの判断を尊重してくれる人は少ないしね。とにかく僕から見れば小泉首相は、市場重視の体裁だけ整えようとして、日本社会の安定と実体経済を犠牲にしながら、それでもネオリベ・構造改革推進者・(数字上の)景気回復という「記号」だけは手にした。誰もその実質を信じていないけど、やった本人があとで強弁するための体裁だけは整った。そして、彼の目的はたんにそれだけだった。その意味で、小泉純一郎はまことに彼らしい政権運営をしてきたと思うよ。呆れるほどに。

……誰だい?まるで粉飾決算だとか言っている人は。僕はそこまでは言わないよ。

あと、今日は深入りしないけど、彼が拙速に皇室典範を改正して皇室の出自制度を不安定化し、ひいては日本のエスタブリッシュメント社会の根幹に致命傷を与えるというミレニアム級の失政をやりかけたことも忘れてはいけないね。まあ、当面の危難は去ったけど、そのヒヤヒヤ感はまだ払拭しきれていない。だいいち、皇統存続の危機というおおもとの問題が解決したわけではないから、この先いつ第二の小泉が出ないとも限らない。

さて、何がともあれ小泉純一郎の総裁任期はもう終わり。あと一週間もすれば、小泉内閣は総辞職し、安倍晋三内閣が誕生するだろう。そして小泉純一郎は、思いつきで広告コピーのような文句を口にしては悦に入り、攻められれば強弁して逃げるというもとどおりの小泉純一郎に戻る。天下太平事もなし……というわけにはいかないだろうなあ、残念ながら。

安倍さんがどういう首相になるのかはわからない。若いだけに、判断の基になる資料が少なすぎるからね。せいぜい、やたら妙に勇ましいことを言っちゃう人だくらいの印象しかない。しかしまあ、結果がわかりきっているだけに、明晩ニュースを見るのが気が重いことは確かだね、とりあえず。

やれやれ、また暗い話をしてしまった。
せめて今夜は、強い酒でも飲んで、ぐっすり寝よう。

それでは Good night.

◎参考:フリーターが語る渡り奉公人事情
http://blog.goo.ne.jp/egrettasacra


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2006-09-16

「森のバターライス」@マウンテン

Good evening. 嵐が近づいているね。

さて、今宵は暗い話はナシにして、グルメな話題にしようか。
新しく "foods" の label を貼っておこう。

ところで、「マウンテン」のこと、知ってるかい?まあ、全国的に有名だから、ここにいる人は大概知っているだろうけど、知らない人がいるかもしれないから紹介しておくね。

「マウンテン」は、英語で「山」という意味だけど、この言葉はある地方では、とある霊峰をさす隠語として使われているんだ。峻険さと富士山の倍近い標高で知られるこの岩山は、その道を究めた剛の者の集う場所として、中国・崑崙山脈と並び評される山なんだ。この「マウンテン」を征服した者は、人智を越えた試練をくぐり抜けた勇者として、畏敬の念を集めることになる。しかし、その山道は険しく、熟練の登山者をしても命を落とす者が後を絶たないほどなんだ。

………ごめんなさい。嘘です。

本当は、名古屋市昭和区にある、実在の喫茶店の名前だよ。さっきも言ったとおり、全国的に有名な店で、他地域からの来店者も多い。ただ、喫茶店といっても、普通にお茶をして帰る人はほとんどいないだろうね。ここの特徴は、ピラフとスパゲティの二系統を中心とした食事メニューにある。それが有名なんだ。どういうことで有名なのかというと、それは、圧倒的な量と、特異なメニューの数々だ。

まあ、詳しいことは、Googleあたりで「マウンテン」と打ち込んで検索すれば、たぶんトップ近くにはこの店のことを書いたサイトが並ぶと思うから、そっちを参照してもらうことにして、今宵は僕が先頃ここに足を運んだときのレポートということにしよう。

その晩、僕は久しぶりにこの店を訪れた。週末だったから、いろいろな客で混んでいたな。大学が集中している地区だから、ほとんどは学生のグループで、みんなでワイワイ言いながらバケツをひっくり返したようなかき氷まがまがしい色彩の甘口スバ群を頬張ったり、携帯カメラで写したりしていたね。

だから、坐る場所が見つからないかと思ったんだけど、一番奥に何とかひとつテーブルが空いていた。隣のテーブルでは、あのマウンテンのメニュー群がかすんで見えるほど恰幅のいい3人組がかき氷をつついていたよ。すごい光景だったね。

それはともかく、僕が注文したのは「森のバターライス」。
こちらの写真をみて御覧。多量の福神漬けと白い粒、そして右端の溶けたメロンのようなものが目に入ると思う。白い粒はニンニクだ。粒でゴロンと入っているところがいかにも豪快だね。ほかにはタマネギとエビ玉が入っていて、スパイス等で味付けされている。ところで、わかりにくいかもしれないけど、このピラフ、うすい緑色をしているんだ。もうひとつ断っておくと、これ、写真で見ると普通の大きさに見えるかもしれないけど、実際はとても大きい。この下に写っている皿は、自動車のハンドルくらいの大きさがあるんだ。

さて、このメニューのポイントはこの「溶けたメロンのようなもの」なんだけど、これ、何だと思う?ヒントは名前。

よく勘違いしている人がいるんだけど、このメニューは「森の・バターライス」ではなくて「森のバター・ライス」なんだ。そこをわきまえないと、「何が『森の』なんだ」と早とちりをして、挙げ句「色が緑がかっているから森なのか」などと、珍奇な説をぶちあげてしまうことになる。じじつ、そういうことを書いているサイトもあるからね。

もうわかったでしょう?そう。このメニューの主役はアボカドだ。

写真からわかるとおり、この「森のバターライス」にはアボカドの大きな切れ端が混ざっている。切れ端ばかりじゃない。ご飯がすでにうすい緑色をしているように、全体にまんべんなく混ざってもいる。もちろんホットだ。アボカドをホットで食べたことのない人や、アボカドの青臭さが堪えられないという人は、まず避けた方がいいだろうね。しかし、その条件をクリアできる人は、この神秘のメニューに近づくことを許される。

実は、例のアボカド臭ささえ気にしないならば、この「森のバターライス」、意外といけるんだ。アボカドは「森のバター」と呼ばれているように、脂肪分(そのほとんどは不飽和脂肪酸)が豊富な果物だ。そのせいか、ピラフに混じって出てくると、確かに味がまろやかになっているんだ、これが。この不思議さがマウンテン・マジックだね。霊峰の名は伊達ではない。

もちろん僕は完食したよ。待ち時間でゆっくり読書もできたし、無事「登頂」を果たして今回も満腹。言うことはないね。

因みに、この店でメニューを完食することを、常連は「登頂」というんだ。逆に、残してしまうことを「遭難」という。僕はほとんど「登頂」しているけど、タコスピラフだけは「遭難」してしまった。いつかリベンジしよう。

ところで、マウンテンのメニュー群は本当に半端な量ではないから、行こうと思っている人は胃を丈夫に保っておこうね。

それじゃ、食欲の秋を待ち望んで。 Good night.


◎参考1:喫茶マウンテン公式Blog
http://kissamountain.blog61.fc2.com/

◎参考2:喫茶マウンテン/Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/喫茶マウンテン

Heineken


今宵、僕のグラスを満たすのはハイネケン。銘柄別に見るなら、たぶん一年で一番、僕の喉を通るビールだろう。

少し前だったら、カールスバーグがその地位に近いところにあったのだが、今年3月にサントリーがライセンス生産・販売から撤退して以後、少し手に入りにくくなってしまった。当時、行きつけのディスカウントショップでは缶入りのカールスバーグが一個168円で最安価、箱買いしてもワンランク安かった。しかも美味だったため、僕は好んで飲んでいた。でも、そのときでさえ、ハイネケンはNo.1の座を譲らなかった。

その理由は、やはり味だ。さっぱり具合はバドワイザーやスーパードライに引けをとらない。しかし、これら少し色の薄いビールと比較して、キレイな黄金色をしたハイネケンは味そのものがしっかり付いている。そこは、のどごしと味のキレばかりが重視され、それ以外は割に淡泊な印象のあるスーパードライなどとは特に違うところだ。そして、バドワイザーがひたすら軽快なさっぱり感をアピールする一方で、ハイネケンには麦芽・ホップの風味が強烈に迫ってくる、深くて強い味わいがある。パンチが効いているのだ。そして、そういった要素すべてが内側でケンカすることなく調和している。総合力があるビールなのである。1864年の創業時、ジェラルド・ハイネケンの目標はただ「最高のビールを醸造すること」だったというが、彼のそうした姿勢は品質と製造技術への徹底したこだわりを生み、世界中で大量生産される今日でもこれほどの完成度を示しているのだろう。それは舌を通して語りかけてくるのだから、自然、説得力があるのだ。

しかもこの実力派、安い。例のショップでは189円。さすがにかつてのカールスバーグには負けるが、それでも並み居る国産銘柄よりも20円近く安い。箱買いするとこの差は結構な差になってくる。値段が下がるとふと不安になってしまうところだが、ハイネケンの場合心配は要らないだろう。

ところで、ビールでも味わいを重視する僕は、あまり外で飲む機会を好まない。でも、時々飲む機会が訪れたとき、店選びのひとつの指標となっているのは、ハイネケンが置いてあるかどうかだったりする。だから、行き先の選択肢の中にハイネケン・ドラフト(飲食店でしか飲めない)を置いた店があるなら、迷わずそこを選ぶわけだ。といっても、つねに僕に場の主導権があるわけではないから、そういうときは、置いてない店に行く羽目になる。なかにはビールを一銘柄しか置いていない店なんかがあって、運悪くそういうのに当たるとテンションが下がる。それでも行くことは行くが、あまり喜んで参加してはいない。僕にとってビールは、酔うためでなく、味わうためにあるのだから。

さて、一番飲むとはいえ、少し値の張る瓶入りのハイネケンはさすがにそうしょっちゅう飲むわけではない。ふだんは安い缶入りなのだ。中身は同じはずなのだが、瓶だと気分が違う。ハイネケン瓶はデザインもぴかいちで、飲んだ後もインテリアに残しておきたいくらいの雰囲気がある。今宵はこの雰囲気も一緒に味わうとしよう。

それにしても、またグリーンボトルになってしまった。狙っているわけではないのに。


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2006-09-13

シエラレオネのダイヤモンド/ストライキ

Good evening. 静かな雨の夜だね。

さて、きのう暗い話はやめようと言ったばかりなのに、今日もこんな話。ごめんね。


シエラレオネで違法タクシーの大規模な取締りが実施され、不適切なタイヤの使用、ライトの故障、無免許営業などを理由に100人におよぶ運転手が逮捕された。11日、運転手たちはこれに抗議してストライキを行い、その結果、首都は静まりかえった。(Exciteニュース/ロイター)


このニュースのポイントは、警察のやっていることがほとんど組織的な別件逮捕だということ。ちょっと大胆な言い方だけどね。じっさい、「不適切なタイヤの使用、ライトの故障」なんかで逮捕しているんだから。検挙じゃないよ。逮捕だよ。ライトの故障で牢屋に入れられるってことだ。この点は重要だね。でないと、職場とかで「自業自得だろw 」とか何とか的はずれなことを言って、インテリの同僚に冷たい目で笑われる、なんていう痛々しいことになりかねないよ。気をつけて。

閑話休題。この件のポイントは別件逮捕だってことだけど、そうすると、事はたんなる大規模な刑事事件ということでは済まなくなりそうだ。それぞれ独立した陣営同士の社会的対立とでも言った方がいい。そうなると、両者の言い分を確認しておかないといけないね。

警官はこう言っている。
「全部でおよそ90件のひき逃げがフリータウンの警察に通報されています。歩行者にぶつかるだけでなく、高速道路で国有建築にぶつかる運転手の例も報告されています」
違法タクシーをシエラレオネの慢性的な交通危険の原因とみなしているらしい。警官らしい、職務上の主張だね。

一方、ストライキを行った輸送ドライバー組合の主張はこう。
「警察は運転手たちが賄賂の支払いを拒否すると、こうしたやりかたに出るのです」
こちらは、警察の不正への抗議ということらしいね。

こういう状況を見るとき、ナイーヴな人は、「○○の方は××というつもりだから、ごまかしている/嘘をついている」という風に思いがちだ。そういう発想が高じていくと陰謀説というやつに行き着くんだろうけど、そこまで行かなくても主体を分けてものを考えることが簡単でない以上、こういう一面的なものの見方への誘惑はいつでも僕たちを襲う。

でも、残念ながら、それは見る人がそう思いたいだけで、事実はおおかた違う。多分、どちらもある程度までは本気で、言ったとおりのことを思っているし、一面の真実も突いている。ただし、すべては見えていない。事象をめぐる当事者としての欲望/感情が、視界を歪めるんだ。

警官には、多少強引なことをしてでも交通秩序を確立すべしという使命感=欲望がある。シエラレオネの交通秩序はヒドイ。それこそ、今すぐ何とかしなきゃと警官を焦らせるほどにね。そして、その焦りが、別件逮捕まがいの強引な捜査となって表れる。まあ、よくある話さ。

ところで、ドライバー側は、商売のことを考えている。彼らは、劣悪な労働条件のもと、ボロボロの車でボロボロの道を、乗客を満載して走らなければならない。すべてがいっぱいいっぱい。しかも給料は安く、社会保障もない。そういう過度のストレスと葛藤は、もちろん、勤務態度に反映される。つまり、ごまかしや手抜き、やっつけ仕事、等々。これもじつによくある話。

そういう人たちがぶつかりあうとどうなるか。当然、どちらの側にもフトドキ者はいるわけで、警察には賄賂を要求する者が、ドライバーには人を轢いて逃げる奴がいたりする。そして、そういう奴ほどインパクトがあるので、各陣営はフトドキ者に代表されることになってしまう。で、お互い相手のフトドキなイメージをあげつらい、批判する。結果、大衝突。それが今回の事件だ。……といっても、僕の勝手な推理だけど。

さて、いまフトドキ者の話をしたけど、こういう「フトドキ者」の話は、いわゆる途上国に関するニュースほど多く含まれているよね。警官がワイロを取るとか、商売人が法律を無視するとか、そういうのは最も陳腐な部類に入る話だろうね。要するに、綱紀粛正がなされていないってことなんだけど、どうしてだろう?なぜ、途上国では「フトドキ者」がちゃんと取り締まられていないのか?

簡単に言ってしまえば、「そこまでちゃんとやる余力がないから」ということになるだろうね。その国の「乱れ」は、貧困の、無力の証しってわけだ。ちゃんと社会政策をおこなってゆく財力や文化水準がこれらの国にあるなら、そもそももっと秩序があるはずだからね。

そして、貧困の原因は……。


シエラレオネはダイヤモンドの輸出国であるが、その大部分が密輸出される。南西部が最もダイヤモンドの埋葬量が多い地域である。その他ボーキサイトや金紅石の産出国でもある。農業では米、アブラヤシ、ラッカセイ、コーヒー、ココアなど。(Wikipediaより引用)


きのうは中南米の例を挙げたけど、アフリカ南西部にあるシエラレオネも似たような立場にある。というより、もっとひどい。この国は世界で最も平均寿命が短い国のひとつなんだ。その理由は、資源獲得競争を背景とした内戦と、そこに必然的に伴う隷属状況にある。

シエラレオネでは長年、内戦が行われてきた。その間この国では、僕らでいう小学生にあたるくらいの子供たちが反政府勢力に拉致されて少年兵や慰安婦(!)にされ、使い捨てられていたんだけど、内戦が終わったいまもその影響は深刻で、社会復帰できない子がたくさんいる。元慰安婦の少女なんか、生きるためそのまま売春婦になるしか仕方がない状況に追い込まれているんだ。そして、内戦とセットになっている構造的貧困は外貨不足に結びつき、違法な国際取引を誘発する。この国の場合、違法取引に供されるダイヤモンド鉱山でボロボロになるまで働かされる子供がいまでもたくさんいて、やはりしょっちゅう命を落としている。子供が極端にたくさん死んでいるんだから、この国の平均寿命が押し下げられるのも計算上当然というわけ。

カニエ・ウェストは、"Diamonds From Sierra Leone"のPVの冒頭部分で、こう言っている。


“We work in the diamond rivers...
from sunrise to sunset
under the watchful eyes of soldiers.
Every day we fear for our lives.
Some of us were enslaved by rebels
and forced to kill our own families for diamonds.
We are the children of the blood diamonds.
The blood diamonds...
The blood diamonds...”


いちいち訳さないし、昨日と同じことをくどくどと繰り返すつもりはないけど、一言だけ確認しておくなら、安価な資源を狙って彼らの内戦を焚きつけているのは、先進国だ。『EDEN』の14巻には、こういう台詞がある。


増え続ける人口を養う為に耕作地を広げ
豊かさを求め石油を掘り鉱山を掘り……
資源と土地をめぐる争いが続く

民族や人種間の憎悪の根底には資源と土地の奪い合いがある
資源が欲しい欧米はそれをコントロール出来ると信じ
時に焚き付け時に押さえ込み漁夫の利を得ようとした結果……

アフリカは多数の”失敗国家”を生んでしまった


いまやグローバルに拡がる世界資本主義という怪物が、かつての列強と植民地の関係を固定化し、富を際限なく前者に流入させる代わりにあらゆる「困った問題」を後者に輸出する。ポストコロニアルスタディーズあたりの定番の図式だけど、アフリカの場合、アメリカひとりを悪者にすればいいってわけではなく、問題は複雑だ。言ってみれば、さまざまな陣営の思惑が相互に不透明なまま摩擦を起こし、その結果貧困や付随する問題をこの大陸に流入させているというわけだね。

そして、もともと宗主国だった欧米はいまごろになってやっと問題に気付きはじめたわけだけれど、関係が複雑になりすぎた結果、手に負えなくなってしまった。アメリカなどの欧米先進国ではPKF活動や救貧ボランティアなどが活発なわけだけれど、これは実効性を狙った施策というよりは、搾取をうすうす自覚した人々の罪悪感のあらわれと言った方がよさそうだ。

それでも、罪の自覚が明確な分だけ、僕たちよりマシなのかも。なにしろ、善人にも悪人にもなりきれない僕たち日本人は、この罪を正視するには弱すぎるためか、二通りの反応しかできない。「まあかわいそう、なんとかしようよ」という、声だけ立派な偽善的態度。そして、「あいつらは勝手に無力なだけなんだ、知ったことか」という、不必要なほど勇ましい虚勢を張る偽悪的態度。大人ぶりたいお年頃のおませさんみたいだね。優等生タイプと不良タイプの違いこそあるけれど、根本的なところは変わらない。これは、シエラレオネの人たちとは違う、もうひとつの「弱さ」だ。せめて、「俺たちは血塗られたダイヤモンド(=富)を吸い上げて生きているんだ」と自分で認められる程度には、この弱さを鍛えて克服したいものだけれど。

……さて、夜も更けてきたね。シエラレオネのニュースを見たお陰で、またこういう話になってしまったよ。闇夜に暗い話をするのもそれなりに乙なものだけど、そろそろ寝ようか。

じゃあ、僕たちの弱さの克服を祈念して。 Good night.


◎参考:ダイアモンド〜第1・2・3・終幕〜/In My Mind
http://blog.alc.co.jp/d/2000790?theme=1

◎参考2:シエラレオネの現状報告/南山国際高等学校・中学校(2006.9.19リンク追加)
http://www.nanzan-kokusai.ed.jp/life/terada.html

◎参考3:ダイヤモンドが煽るアフリカの殺戮/田中宇(2006.9.19リンク追加)
http://tanakanews.com/A0203diamond.htm

(9月19日、新リンク追加に伴う若干の加筆をしました。)

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2006-09-12

もうひとつの「9.11」

Good evening. 静かな夜だね。

今日は9月11日。「9.11」の日だね。

「9.11」といえば、現在ではちょうど5年前の、世界貿易センターと米国防総省に航空機が突っ込んだ、いわゆる「同時多発テロ」をさすことになっているね。でも、南米に行くと、ちょっと事情が違ってくる。

どういうことかというと、1973年の9月11日には、南米の、特にチリの人たちにとって忘れられない「忌まわしい記憶」が刻まれた日でもあるんだ。まあ、僕自身、先刻余丁町散人の指摘を目にするまで失念していたのだから、あまり偉そうなことも言えないんだけど。

え、もったいぶるなって?そりゃそうだ。

1973年の9月11日、チリで何があったか?この日、サルバドール・アジェンデ大統領が殺されたんだ。アウグスト・ピノチェト将軍率いる軍事クーデターでね。そして、この軍事クーデターは成功し、ピノチェトは大統領に就任した。以後、ピノチェトは、1990年まで実に16年近く、チリの国家元首であり続けた。

ところで、軍事クーデターによって成立した政権がどういった性質のものになるか、これにはパターンのようなものがある。まあ、自然科学のような確実性を持った法則ってわけではなく、せいぜい蓋然性があるというに止まるんだけど、とにかく、軍事クーデターが導く政権はだいたい決まっている。軍事独裁政権だ。

考えてみれば当たり前だよね。ある政権が国をまとめるためには、国民が自発的に従うためのきっかけ(自発的服従の契機)がなければならない。つまり、革命政権が国民に正統性を認められることがなければ、そもそも国民は言うことを聞いてくれないから、結局反革命勢力(旧勢力や対立組織など)に政権を再び覆される危険性が高まる。だから、新政権は何らかのかたちで国民の服従を勝ち取る必要があるんだけど、軍事力にものを言わせて打ち立てた政権には、何があるだろうか。軍事力しかないよね。

ともあれ、チリのピノチェト政権は歴史の例に漏れず、軍事独裁政権となった。その長き支配の下にあったチリでは、ピノチェトが政権を追われる1990年に至るまで、数千人にも及ぶ政治犯が処刑された。これも例に漏れない。

ところで、軍事独裁政権というのは、政治的基盤が強くない。なにしろ、国民からすれば、この政権に服従するのに軍事力以外の理由があるわけじゃないから。中世に南仏カタリ派の王国を滅ぼした北仏の諸侯たち(カペー王朝が中心)には、カトリック教会のお墨付きという宗教的権威があった。中国の革命には、湯武放伐論に支えられた易姓革命の思想があった。これらの勢力も旧勢力に対して現代のクーデター顔負けの残酷なことをしているんだけど、その後国土は安定している。しっかりした自発的服従の契機が機能していたからだ。でも、軍事独裁政権にはそういう「信仰」といえるほどの権威がない。力しかない。だから、力の源泉がなくなれば、倒れてしまう。

そういうわけで、ピノチェトが独裁者の地位に就いていられたのも、あるビッグな力の源泉があったからなんだね。それは何だろうか?

とても簡単。アメリカだね。そもそも軍事クーデターってのは、国の正統権力を相手に闘うわけだから、外国のバックアップなどがなければ成功しにくい。兵站線を押さえられたらおしまいだからね。ピノチェトの場合、アメリカCIAの支援を受けていた。もっといえば、そもそもアジェンデ政権が倒されたこと自体、アメリカの意向によるところが大きいんだ。

アジェンデ政権というのは、じつは史上初の、選挙によって選ばれ成立した社会主義政権だったんだ。時は米ソ冷戦の真っ只中。アメリカはこれをとても恐れた。だから、CIAの工作によりこれを倒したというわけだ。このことは、その後機密扱いから外されたCIAの公式文書によっても明らかになっているくらいで、国際政治をウォッチしている人間ならいまや誰でも知っていることだね。かくてアメリカの望み通り、ピノチェトのクーデターは成功した。ところが、やったあとやりっぱなしにするのもアメリカらしいところで、ピノチェトが大統領になり、明らかに圧政をしはじめたときになっても、何もしなかった。できなかったんだ。冷戦があったから。結局、冷戦が終結する1990年まで、アメリカはピノチェト政権を黙認していた。

ところが、皮肉なことに、冷戦終結がピノチェトとアメリカの縁の切れ目だった。結局彼は、アメリカに見放されるかたちで大統領を辞任した。


現在、ピノチェトに対しては、「軍事独裁政権を敷いた冷酷非情な独裁者」と言う見方が大勢を占める。だが、一方では「アジェンデと並ぶアメリカの犠牲者」と言う同情的な見方もある。ピノチェト失脚後、アメリカとチリとの関係は悪化しており、チリ国内外には、「アメリカがチリをダメにした」「ピノチェトはアメリカの捨て駒であり、被害者だった」と、かつてピノチェト政権を影ながら支持したアメリカの責任を問う声も多く出ている。(Wikipediaより引用)

結局、アメリカの意向にただ翻弄されたチリの治安は荒れに荒れ、経済も低迷しつづけた。いや、チリだけじゃない。サンディニスタ左派政権と対立関係にあったソモサ派を支援して慢性的な内戦を導いた中米ニカラグアの例を筆頭に、アメリカは中南米諸国家に対する主権無視の内政干渉を恒常的に繰り返し、ラテン・アメリカの構造的貧困をプロデュースしつづけている。まあ、あとについてはノーム・チョムスキー先生の出る幕としようか。

ところで、ここまでチリの来た道を辿ってみて、なにか気付くことはないかな?

そう、似てるよね。イラクに。

そもそもフセインだって、反ホメイニのためアメリカが支援した軍人だった。彼にイラク一国を与えてホメイニ率いるイランと戦わせた(イラン・イラク戦争:1980〜88)んだけど、フセインが言うことを聞かなくなるや、難癖を付けて潰してしまった。やることは一緒ってわけだ。イラク戦争をさして、「米州でやっていたことを中東に輸出しただけ」というのは、事情を知っている人が皆認めるところ。反共防波堤という目的がなくなれば、資源確保、ドル圏防衛。こうした大国の都合に翻弄されつづけ疲弊し尽くした中南米は、グローバル化の最たる犠牲者といえる。僕はいたって穏健な共和主義者にすぎないけれど、こういう事情を見聞きすると、やっぱり「搾取」ってあるんだなあとつい思ってしまうね。

ところで、中南米といえば麻薬の蔓延だけど、これもじつはいま言った事情に深く関わっている。というのも、中南米は構造的に、アメリカによって資源を安く買いたたかれる立場にあるから、外貨が慢性的に不足している。工業は先進国にかなわないし、アンデスのやせた土地では農業もままならない。よって、唯一栽培可能な作物・コカに頼って外貨を稼ぐことになるってわけだ。ペルーで毛沢東主義過激派センデロ=ルミノソが一時期力を持ったのは、彼らのマオイズムによる農地開放路線が、コカ栽培に依存する貧農層の支持を集めたためとも言われている。そして、田舎はゲリラの実行支配地帯でコカインの原料が栽培され、都市に行けば田舎でできたコカインを餌にシンジケートに隷従させられる売春婦で盛況という何ともアレな世界ができあがってしまった。もちろんそのコカインは貴重な外貨獲得の手段だから、アメリカをはじめとした世界中に輸出される。こうして成立した麻薬の南米ルートは、1990年代、世界の闇の流通路を大きく変革したと言われているんだ。

…まあ、このあたりの詳しい事情は、僕の好きな遠藤浩輝『EDEN-It's an Endless World!』でも読んでみるといいよ。こちらの世界は2112年、本来ならドラえもんが生まれるはずの年だけど、『EDEN』が描く南米はなまなましく現代的だ。

さて、夜更けに暗い話をしてしまったけど、じつは本当に僕を暗澹たる気分にさせるのは、僕たちに彼らを「かわいそう」と言う資格がないということなんだ。だって僕たちは、あのアメリカの尻馬に乗ることによってたらふく食べているんだから。

…ああ、こんな話をしている間に、「9.11」が終わってしまった。マーヴィン・ゲイの"What's going on"を流しっぱなしにしていたせいだな。時間を忘れてしまった。

次回こそ明るい話題にしよう。あまりこういうことを書くと、僕が左翼社会主義者か何かなのではないかと疑われてしまう。あくまで僕は公民的共和主義の可能性に賭ける穏健な青年にすぎないってのに。

じゃあ、この素敵でくそったれな世界を想って、眠るとしよう。 Good night!

P.S.
余丁町散人様、いつも楽しく読ませていただいております。しかし、ピノチェト政権について「米国型自由主義経済システムの導入でチリはみるみる良くなるはず」とされたり、実際の経済低迷の原因を「いったん社会主義化されてしまうと、その体質が染みついてしまうのだ」と断じておられますが、経済的観点から言えている部分はあるものの、やはり当国の政治情勢やポストコロニアルな状況も考慮しなければ不十分なのではないでしょうか。以上、若輩者が失礼しました。

◎参考1:捨てられた独裁者ピノチェト/田中宇
http://tanakanews.com/a0309pinochet.htm

◎参考2:ピノチェト事件を追う(上)スペイン当局による身柄引き渡し要請、英国からの帰国まで
http://www.chunambei.co.jp/pinochet-1.html

◎参考3:ピノチェト事件を追う(下)=チリ帰国後のピノチェト動向:2000年3月〜=
http://www.chunambei.co.jp/pinochet.html

◎参考4:南米紀行/らくだジャーナル
http://www.rakuda-j.net/tabi/nanbei/index.htm

◎参考5:The Pinochet File/The National Security Archive --- The George Washington University(2006.10.8リンク追加)
http://www.gwu.edu/~nsarchiv/NSAEBB/NSAEBB110/

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2006-09-10

Kronenbourg 1664

隣県で入手したクローネンブルグ。フランスを代表するビールで、世界でもトップクラスの売り上げを誇っている。日本でも比較的入手しやすいそうだが、ハイネケン等のように日本のメーカーがライセンス生産しているわけではないので、そういうものに較べるとさすがに見掛ける頻度は落ちる。

先程フランス代表と言ったけど、クローネンブルグが生産されているのはあのアルザス地方。


アルザス(アルザス語・ドイツ語:Elsass,フランス語・英語:Alsace,ラテン語:Alisatia)は、フランス北東部に存在する地方であり、住民の大部分はドイツ人の一部であるアレマン人だといわれ、130万人の住民がドイツ語の方言であるアルザス語(Elsässisch, alsacien, Alsatian)を話しており、アルザスはドイツ文化において重要な役割を果たしてきた。王制時代は「ブルボンに仕えるドイツ人」と呼ばれていた。首府はストラスブール(ドイツ語ではシュトラースブルク)。(Wikipediaより引用)

アルザス地方といえば、近代を通じてフランスとドイツが領有を争った、独仏対立を象徴する地域としても知られている。というのも、この地方はドイツとフランスの接触地帯として軍事的に重要な位置にあったのに加え、鉄鋼、石炭、カリウムなどの鉱産資源が豊富だったからだ。

中世を通じて神聖ローマ帝国(ドイツ)に属していたアルザスは、同帝国を徹底的に疲弊させ、後の分裂時代へと扉を開いた三十年戦争の講和(ウェストファリア条約:1648)により、フランス領となる。その後、17、8世紀を通じてフランスに属し、フランス革命以後はフランス同化政策を推進されたりもしたが、1870〜71年の普仏戦争でプロイセン軍が大勝利をおさめた結果、フランクフルト講和条約でドイツ領となる。このときプロイセンは、アルザス領有の引き替えとして、フランスに50億フランもの賠償金を支払っているが、どうやらドイツにとってもそれだけの価値はあったらしい。普仏戦争を契機に悲願の国内統一を果たしたプロイセン・ドイツは、宰相ビスマルクの辣腕により国内の近代化を推し進めていくのだが、鉱産資源の豊かなアルザス・ロレーヌ地方は、ドイツ工業の飛躍的発展に多大な貢献を果たすことになった。そしてそれは、第一次世界大戦で大敗し、ふたたびアルザス・ロレーヌ両地方の領有権を失うまで続くことになる。いわばアルザスは、大国ドイツの浮沈と運命をともにしてきたともいえるわけだ。

そして、現在アルザスはフランス領。現在でもドイツ文化の色彩の濃いアルザス地方だが、そこで生産されているクローネンブルグはいまやフランスを代表する味覚のひとつとなった。その味は、やはりホップの香りが鮮やかに漂い、さっぱりしているが、しっかりと味が付いている印象。クローネンブルグの製造手法にはドイツの影響が大幅に入っているという話だが、実際に飲んでみると、この国際的銘柄はかならずしもドイツビールの変種という枠組みに還元できるわけではないようだ。じじつ、僕の好きな銘柄のドイツビール、デア・レーベンブロイと飲み比べてみると、味の傾向がちょっと違うことがよくわかる。バドワイザーとは違った飲みやすさだ。

大陸を代表する二大強国が領有を争ったアルザス地方は、その領有とともにそれぞれの国に近代化という名の繁栄をもたらしてきた。しかし、それも今は昔。両国が慢性的な対立をやめて久しい現在、地域を代表するビールは、国際的銘柄として世界中で最も親しまれるビールとなり、僕のグラスを満たしている。

それはともかく、どうやら僕は、グリーンのエンボス入りボトルに弱いらしい。

◎参考:kronenbourg/ビール友の会
http://www.office-soleil.com/beer/enjoy/euro/krone.html

1000年の失政?

Good evening. 蛼たちの求愛の声も聞こえはじめたね。

今日は、政治の話でもしてみようか。政治のもつリズムというか、時間感覚の話。

あるひとつの政策が成功したか失敗したかってことは、重要なことだよね。政府が経済政策を失敗したら僕たちは生活の危機に直面するし、治安政策を失敗された日には怖くて表も歩けなくなってしまう。だから、有権者たるもの、時の政府が執り行う政策の正否はチェックしておかなくちゃならないわけだ。

ところで、政策の正否が判明する時点というのは、実行されている限り当然存在するわけだけど、それは何時になるんだろうか。勿論、これは政策によって違う。詳しいことは大学の政策学の講義にでも譲るけど、こちらの記憶を確かにしておくためにも、簡単におさらいしておこうか。たとえば政府の景気刺激策ということになったら、早ければその日のうちに、長くても数年のうちには判明するよね。政府発表の時点で株価はすでに変動するだろうから、その限りでは発表された瞬間にその政策の「点数」は付いていることになる。でも、その効果となったら、さすがにさらに月日が経たなければならない。そして、国内の各企業の業績が判明し、日銀の短観でも出るようになってくると、だいたいの正否は云々されるようになってくる。それが四半期毎だとすると、三ヶ月単位かな。5年、10年と経てば、もう歴史上の事実だね。

もちろん、これは巷のディレッタントの勝手な判断に過ぎず、専門的な議論になればもう少し違うかもしれないよ。それに関しては今度、地方官吏の友人にでも訊くとしよう。でもまあ、大まかに言うならば、景気刺激策のリズムは、即日〜10年といった感覚でリズムが刻まれているという風に、僕たちは認識することができるというくらいのことは言えそうだ。他にもいろいろな政策があるけれど、大概のやつはこんな風に数年単位でだいたいの結果は得られるものなんじゃないかな。だいいち、そうでなければ選挙に間に合わないから、僕たち有権者は困ってしまう。チェックできなくなってしまうからね。

もちろん、長期的な歴史的意義を問うとかいうことにでもなれば10年なんてものじゃ済まないわけだけれど、政策そのものの成否を問う場合、やっぱり10年は超えないかな?もちろん、産業振興策とか都市政策だとか、長期的なビジョンに基づいて組まれる政策となれば話は別だろうけど、それにしたって10年もすればなんとなく見えてくるものだし、あまり長くなっても担当者が担当しきれないから、せいぜい数十年までかな。

そうなると、政策ってものの基本のリズムは5年、10年単位ってところになりそうだね。五カ年計画っていうくらいだし。となると、それを大幅に超越したストロークを持つ政策ってのは、ちょっと考えにくくなってくる。マジメにそういう時間単位で云々される政治なんて、それこそマルクス主義の革命のビジョンくらいじゃない?でもまあ、今日は革命家の話をしたいわけではないから、それは措いておくことにしよう。だいいち、そうなるとすでに「政策」とは言わない気がするからね。

さて、やっと本題。

http://www.excite.co.jp/News/society/20060906135108/Kyodo_20060906a448010s20060906135108.html

とりあえず、おめでとうございます。僕もホッとしました。二つの意味で。
ひとつは、紀子妃殿下と親王殿下のお体の案配について。
もうひとつは、国のなりたちにかかわる問題。

何でわざわざこんなことを断るのかというと、すでにこの時点で論点をごっちゃにする人がいるからね。そういう人とはとこしえに近からざるものであれかしと祈念せずにいられないところだけれど、一応言っておかないと。

http://www.j-cast.com/2006/09/07002875.html
http://www.j-cast.com/2006/09/08002901.html

とりあえず、新しい生命の誕生を祝うと言うことと、国の行く末を考えることは別問題なわけ。同じ事象を言っているのだとしてもね。面倒だから、これは当然の前提ということにして話を進めよう。

このニュースは、皇族を敬愛する一個人としてめでたい知らせという意味も勿論あって、その意味でいうならば親王殿下が男でも女でもめでたいことに変わりはないんだけれど、それはまあ別の話。視点を変えよう。このニュースを「皇室典範改正の必要性」という国策・政策的な視点から眺めてみた場合、親王殿下が男性だということは非常に重要な意味を持つ。改正しなきゃならない切迫した必要性がなくなるからね。だから僕は安心した。

どういうことかって?じゃあ、まとめて言うよ。

女系天皇を認める場合、天皇家は双系出自の家族システムとなるため、天皇家の「家」としての維持が危殆に瀕することになる。それを回避するためには、これまでと逆に男系天皇を廃止するか、不自然なアクロバットをしなければならなくなる。しかし、前者は天皇の定義そのものの改変を伴うものになるから、別王朝建立の論理に、つまり一種の革命思想になる。そのうえ、天皇家の親族制度は日本人の親族意識の鏡だから、そこで女系単系あるいは双系なんていう大変革を起こしたら、日本人の親族制度にも革命を起こすことになりかねない。そんなことは現実的なことじゃない。だから、今回は下手に制度をいじらないでおいた方がいい。それなのに小泉純一郎は、まさしく「下手に」制度をいじろうとした。しかし、親王殿下ご誕生によって、その話は流れた。だから、とりあえずホッとした。

前段を読んで「意味がわからない」と思う人、結構いるだろうね。そう、一般の日本人にはわからない。「女系容認」ということがいかなる意味を持っているか、普通の日本人には理解できていない。男女同権なんていうまるで関係ない話と混同しているくらいだからね。男系社会で「女系容認」なんて、人類学的にはビックリするような事を言っているんだけど、その意味をちゃんと理解できるくらいの教養を身につけるには、大学で文化人類学を勉強しておかなくちゃならないからね。実際、レヴィ=ストロースの『親族の基本構造』、読んでちゃんと理解している人って少ないだろう?

別に大衆の無知を嘲笑いたいわけじゃないよ。知らなくたって仕方ないことなんだから。実際、首相ですら知らないことだからね。……知ってて言いだしたのなら、本当に頭がアレだと思うよ、あの人。

親族制度のメカニズムっていうのは、いうなれば僕たちの無意識の領域で動いているメカニズムなわけで、日常僕たちが意識することはないけれど、このシステムが動いていなかったら日常生活に支障を来してしまう、そういう種類のメカニズムなんだよね。そういう「無意識の領域で動いているメカニズム」に下手に手を出すとどうなるか。知りたかったら君のパソコンのシステムファイルをでたらめにいじってみるといいよ。その意味を身に染みて実感できる。

それはともかく、知らないのならばある意味、仕方がない。でも、歴史的には、「知らなかったから仕方なかった」では済まされないことというのがあるわけで、このケースがまさにそう。ここで冒頭の話と繋がってくるんだけど、要するに、現時点で「女系容認」をやらかしてしまった場合、数百年くらい経ってから失敗に気付くことになってしまうんだね。

端的に言おうか。男系の可能性を残したまま女系を容認してしまった場合、先祖を辿れなくなってしまう。どうでもいい家ならいいけどね。しかし、万世一系を掲げる天皇家の場合、非常にマズイことになる。

たとえば、Aという父親とBという母親から生まれたXという人の場合を考えてみよう。父系社会の場合、Xは父方の姓を名乗り、先祖を訊かれたときはAの系統を辿ることになる。母系社会の場合は、それが逆になるだけ。そこまではいいね。問題は双系出自社会の場合。これの場合、親族の系統を両方辿れるから、Xの一族はAの一族でもBの一族でもない、両方の一(?)族ということになってしまう。二つの家系に同時に属するわけだ。Xの子、孫……となると、さらにややこしくなる。そうなると、Xやその子孫たちは、誰の姓を名乗ればいいのやら。

こういうのを一個人多始祖って言うんだけど、こういう状態になった場合、「家族」ってのがどういうことになるか。簡単にいえば、系統がごちゃごちゃになってしまい、世代を越えた「一族の同一性」が保てなくなってしまうわけ。つまり、ひとつの親族集団の「死」が訪れるか、そうでなくてもその基盤は著しく脆弱になってしまう。それでなくても、天皇家には名字がないってのに。

勿論、地球上に実際に存在する双系社会ではちゃんと解決方法が用意されていて、そういうところでは父方か母方かどちらか一方を選択するようにしている場合が多いんだけど、天皇家でそれをやったらそれこそマズイよね。系統を恣意的に選択できるなんてことになったら、天皇家は持明院統/大覚寺統どころじゃない分裂状態になってしまう。

要するに、女系容認に踏み切った場合、日本の天皇家は最終的に分裂しすぎて意味がなくなるか、系統の混乱によって消滅してしまう。さて、ここで日本史の問題。天皇家が斯様に混乱した場合、日本社会はどんな状態になるか。……まあ、答え合わせの必要はないでしょう。

そして、その結果が現れるのは、世代が何代か下ったあとだから、早くて数百年後。そんなに後になってから現代の失政が判明するんだから恐ろしいね。そして、結果が現れた暁には、21世紀の日本人は世紀の大失政を行った世代ということになって世界史的な恥をさらしてしまうってわけだ。下手な話、「日本にトドメをさした世代」なんて言われたりしてね。

その危機を回避できたんだから、ホッと一安心だね。
オリーブニュースは「コウノトリの大勝利」(メルマガ版2006/09/07 02287号)って言っていたけど、上手い言い方をしたもんだよね。

本当に、今日の話が単なる好事家の与太話で済みそうでよかったよ。

それじゃあ、僕たちの子孫の末永い繁栄を願って。 Good night!

◎参考:皇室典範問題〜領域の分別/画龍★点晴
http://silverjihn.exblog.jp/3740420

2006-09-05

HEARTLAND



いまや立派なレアピールの一種となったキリン・ハートランドビール。

こいつを見掛けたのはまったくの偶然だった。隣に並んでいたのはサッポロラガー(こちらも何気にレアだ)で、どちらにしようか迷った。しかし、この古典的なエメラルドグリーンのエンボス(浮き彫り)付きボトルは、無視して通り過ぎるにはあまりに魅惑的だった。

とっておきの一本にしようかとも思ったが、結局一本空けてしまった。
格別のビールだ。喉を通る瞬間、たちまち艶やかなアロマホップの香気が口腔を満たし、鼻腔を突き抜ける。こいつより高値のチルドビールであっても、ハートランドの色気に伍するのはなまなかな話ではない。

それにしてもこのビール、売っているところが少ない。専門のディスカウント・ショップでもほとんど売っていない。
僕も売っているところは一ヶ所しか知らない。どこかは秘密。

それにしても、誰だい?ハートランド・ラッセルとか言っている人は。

2006-09-04

テロリズムの誘惑が”F”や”N”を襲う日

Good evening. 涼しくなってきたね。

さて、きょうは笠井潔先生の知人の女性の話でもしようか。といっても、氏の「いい人」のことじゃなくて、氏のプロデュースした虚構の中にお住まいの女性の話だけど。

その前に、はじめてここに来た人に断っておきますが、僕の書くエントリーは万人向けを意図したものではありません。このエントリーの場合、笠井潔『バイバイ、エンジェル』(創元推理文庫)を読了した人を想定してアップされています。それ以外の人は対象読者から外れますので、悪しからずご了承下さい。

じゃあ、ここから本題。

場所は1970年代のパリ。21世紀の国際社会にて現実化した苛烈な実態を先取りしたかのようなテロリストの女性はある時、この都市の一遇でこう言ったんだ。


わたしたちが介在しなければ、どのように激しい叛乱であろうといずれ沈静するものです。国家と人民は、二本の脚のように互いを必要としているのですから。諍いは一時のもの、暗黙のうちに将来の和解を計算しながら、国家と人民は争うのです。(文庫版p.364)


どんな周到な革命であっても、かならず潰されるか堕落するかして、失敗に終わる。「彼女」の場合、それがわかっていても破壊活動をやめないばかりか、その徹底こそまさにあるべき生き方なのだというわけで、どこか終末思想めいている。なかなかクレイジーな話だね。

さて、話を我が国に向けよう。いま現在の日本では、「国家」と「人民」は、互いに不平を持ちながらも和を保ち共存している。そこでは、「叛乱」は未だ実現されていない可能性のひとつに過ぎず、それは萌芽の状態で、潜勢力として抑圧された階層の心理のうちに身をやつしているだけだ。つまり、いまはまだこの国に「彼女」は生まれていないというわけさ。

まあ実際、僕としても「彼女」のような危険な人にご登場願いたくはない。出現していないというのは喜ばしいことだ。でも、遠い将来は言うに及ばず、近い将来「彼女」が忽然と姿を現さないかどうかについては正直、確証を持てない。まあ、tomorrow never knowsってことで、誰にもわからないだろうけど。しかし、少なくともいまのところ、僕は「彼女」が生誕しないことに賭ける bet on ことはできない。

要するに、問題はテロリズムだ。僕だって暢気にカニエ・ウェストを聴きながら、「北側」対「南側」という図式が「テロとの闘い」というスローガンから透けて見えたり、「日帝米帝による搾取」という大昔の左翼の言葉を思い出してしまうくらいの世界情勢だ。南側諸国に行けば、「彼女」は生身の人間として生きているからね。試しに、テルアビブあたりにでも行ってみれば、カラシニコフを持った美女とカフェでお茶することができるかもしれない。まあ、それはいささか不謹慎なジョークにすぎないとしても、日本だっていつまでも対岸の火事ではいられないだろうよ。日本人だって、搾取の主体には違いないんだし。

じゃあ、事を日本国内に限ってみたらどうなるかな。将来「彼女」を産み落とす可能性を持った母胎は、いまの日本では何が該当するんだろう?言い換えると、現在の日本社会において抑圧されている階層とは、具体的に誰たちのことなんだろう?

まあ、愚問だよね。

日本人は暴力革命に懲りているから可能性は低いと思うけど、かりに社会に鬱積したエネルギーが暴発する事態が出来したとしよう。そのときの対立図式はどういったものになるだろうか?「勝ち組」対「負け組」?経営者対労働者?それとも、”偶然にも正規雇用の恩恵にあずかることのできた階層”対”運悪く非正規雇用の負のスパイラルに落ち込んでしまった階層”といったところかな?

まあ何にせよ、想像すると暗澹たる気分にさせられるよね。だいいち、日本人には変なクセがあるからね。どこかに苦汁を嘗めさせられている一群の人々がいて悲鳴を上げているとき、日本人の場合、彼らを憐れんだり慰撫するべきところを、あろうことか「いかなる抑圧にも負けない聖人君子」たることを彼らに求め、「努力が足りない」といってかえってバッシングを浴びせるんだ。といっても、何もいまのフリーター・ニート層のことばかりを言いたいわけではないよ。日本人は有史以来ずっとこういう事を同じように繰り返してきた。つまり、人々が弱い者を弱いと思って思う存分叩いているうちに、弱い者のうちに負のエネルギーが蓄積されていき、やがてそれが「乱」や「維新」を呼び寄せる。こうして日本の歴史は動いてきたんだから。歴史の法則に文句を言っても仕方がないからね。

要するに、僕が心配しているのは、いま現在社会的バッシングを受けず普通の生活ができている人たちのことなんだ。彼らの不寛容が、「危機の萌芽」を「いまそこにある危機」に育ててしまわないかどうか。彼らが「彼女」の種をはらませてしまいはしないかどうか……、いや、もう種は着床(つ)いてしまっているのかな?ならば言い換えると、そそっかしい彼らが社会不安という「困った娘」の誕生日をプロデュースしてしまいはしないかどうか、それだけを心配している。

杞憂かな?だったらいいんだけど。

ところで、最近こうも思うんだよ。こんなこと心配したって仕方ないことなのではないか、って。だって、種が着床いてしまったなら生まれるか流産するかどちらかしかないし、流産したところで母胎が存在する以上別のタネが舞い込んでくるのは時間の問題で、それまで「乱」の誕生が先延ばしされるだけだろう。結局、かならずいつか「彼女」は生まれる。物事なるようになるしかないのだから。そうなるといま僕らが考えるべきは、いかにして「乱」を生き延びるか、それしかないわけで、あとは生まれてくる破壊神が強大すぎないことを祈るくらいしかできない。やっぱり「歴史」には勝てないってところだね。

まあ、それはそれとして、運良く「乱」を生き延びることができた場合のことを考えてみようか。冒頭に引用した「彼女」の言葉が示しているように、産み落とされた「乱」が激烈な死闘となり、じっさいに日本人を消耗しつくしたとしても、たとえそれがどんなにヒドいものだったとしても、それが暗黙のうちに将来の和解を計算しながらおこなわれる諍いでしかないとするならば、やがて対立する者同士は講和し、新しい国家と人民の関係を構築するだろう。そして、しばらくまた「国家」と「人民」が互いに不平を持ちながらも和を保ち共存する日々が訪れる。「彼女」はこれを「共犯関係」と呼ぶだろうけどね。でも、「彼女」だってその「共犯関係」を打ち破り破砕することによってしか存在し得ないのだから、ひとのことを言えた義理はない。彼女だって、もとい、「共犯関係」を徹底して憎悪する破壊神に身を堕とした「彼女」こそ、勝てないのだ。「共犯関係」の破壊と創造を繰り返す、無限そのものであり唯一の実体でもある、「歴史」という名の神にはね。

とまあ、「神々の黄昏」を気取って仰々しい言い方をするのは酔狂。ブルーハーツの『Train Train』でも聴きながら軽く流してくれないか。

ともあれ、不肖未熟のこの僕が、心配する「勇ましい」人たちに言うことができるのは一言だけ。

「君の目の前にいる、いかにもイジメてほしそうにしている弱い生き物たちを、みんながイジメているからといって叩きすぎないようにしておきなよ。やればやるほどあとでヒドイしっぺ返しを喰らうだけなんだからさ。

言っても無駄な気もするけど、一応ね。彼らが”ブルースを加速させる”のは勝手だけど、それに巻き込まれてはこちらも堪らないから。せめて”歴史の女神=norns”の気分をいたずらに逆撫ですることだけは慎んでほしいな。

じゃあ、お互い上手に生き延びることを祈って。 Good night.

◎参考その1:▼「失われた世代」から「困った世代」へ
http://d.hatena.ne.jp/ost_heckom/20060901/p3

◎参考その2:第一生命経済研レポート 2006.8 「日本経済〜失われた世代〜/内外景気」(pdfファイル)
http://group.dai-ichi-life.co.jp/dlri/monthly/pdf/0608_2.pdf